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雲南王竜雲

竜雲は国民政府から、同年8月には国民革命軍第38軍軍長に、1928年(民国17年)1月には雲南省政府主席・国民革命軍第13路軍総指揮(第38軍軍長兼任)に、1929年(民国18年)春には討逆軍第10路総指揮(第38軍軍長兼任)に任命された。これ以後、1945年(民国34年)までの統治により、竜雲は「雲南王」と称された。

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この間、国民政府・中国国民党内の争いでは、竜雲は蒋介石支持を堅持する。[[1929年](民国18年)、竜雲は滇軍を貴州省に送り込み、李宗仁ら広西派に与する貴州省政府主席周西成を攻撃して、これを戦死させた。1930年(民国19年)5月には、盧漢らを広西省へ侵攻させたが、省会(省都)南寧を攻略できず、撤退した。1931年(民国20年)3月、盧漢ら配下の軍人たちが、竜雲に対して兵変を起こしたが(「3・10政変」)[1]、竜は何とか盧らを降伏させている。

竜雲の雲南省統治は、繆雲台(繆嘉銘)・陸崇仁など優れた官僚たちの支えもあり、内政でも経済・社会・教育等の多方面における近代化建設に堅実な成果をあげ、蒋介石・宋美齢・陳布雷らの絶賛を受けている。1937年(民国26年)に日中戦争が勃発すると、竜雲は抗日統一戦線を支持した。竜雲は、盧漢率いる滇軍(国民革命軍第60軍)などを派遣し、また、昆明を後方基地として堅持するなど、日中戦争勝利に多大な貢献をする。なお、1938年(民国27年)に汪兆銘と会談しているが、これを支持することはなかった。

しかし、日中戦争を通して蒋介石以下中央勢力が雲南省内に浸透・介入してきたため、「雲南モンロー主義」を望む竜雲は不満を抱き、1944年(民国33年)頃には中国民主同盟(民盟)に秘密裏に加入したとされ、さらに中国共産党との関係も強化した。この結果、蒋介石は竜雲の排除を決断し、1945年(民国34年)10月に、昆明に駐留していた中央軍の杜聿明率いる軍に竜雲を拘禁させた。

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2009年04月30日 10:23に投稿されたエントリーのページです。

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